「あれ、どこ?」と1年中聞かれる私が続けている“言葉の練習”

その他

一緒に暮らす夫は、一年中、探し物をしています。
「あれ、どこにある?」「コップは?」「ズボンは?」

正直に言うと、ちょっと疲れます。

3階建ての家を、私が上り下りする日々

夫は、持ち物が多い人ではありません。むしろ少ない方です。脱いだ服を畳んで所定の場所にしまうのは私の役目ですが、それは苦になりません。
困るのは、二人で使う消耗品です。シャンプー、石けん、食器用洗剤、コーヒー。
「シャンプーのストックはないの?」「これと同じもの、もうない?」と聞かれます。
我が家は3階建て。最初のうちは、聞かれるたびに、私が1階まで降りて行って取ってきて、「はい」と手渡ししていました。
でも、仕事もしています。毎回そのために階段を上り下りするのは、さすがに大変です。
夫は、自分で見に行きません。見に行っても、探せないのです。それは今でも変わりません。

そこで始めた、私の“言葉の練習”

洗面所の洗濯機の隣にある引き出し。石けんなどのストックが入っている
あるときから、私はやり方を変えました。取りに行くのをやめて、「場所を、言葉で正確に伝える」ようにしたのです。
「1階の洗面所、洗濯機の隣の引き出しの中にあるよ」
「調味料なら、シンク下の引き出し。ラベルが貼ってあるからすぐ分かるよ」
ここまで言えば、夫は自分で動けます。私が階段を降りなくてすみます。
これは、仕事でも同じでした。
部下に「あのファイル、どこ?」と聞かれるたびに一緒に取りに行っていては、時間がいくらあっても足りません。
どこに何があるかを、的確に口で伝えて、その人が自分で動けるようにする。
それが、いちばん無駄がないと気づいたのです。

原点は、40年前の役所にありました

実は、私が「きちんと話したい」と思うようになったのには、きっかけがあります。
26歳の頃、役所で検診の手伝いのパートをしていました。もう35年ほど前の話です。
その部署の奥で、40代くらいの男性が電話をしていました。その話し方が、今でも忘れられません。
はっきりしていて、優しくて、分かりやすくて、なめらかで。
まるで音楽を奏でるような話し方でした。
こんな話し方をする人が、世の中にいるんだ。私は思わず目をぱちくりさせていました。
すると、近くの席の人が私に気づいて、目を合わせて、にっこり笑ったのです。「あなたも、そう思うでしょう」とでも言うように。
私は今でも、時々あの男性を思い出します。大人になったら、あんなふうに話せるようになりたいと思いました。

同じ職場で、私の話し方も指摘されました

その同じ役所で、もう一つ、忘れられないことがあります。
定年間近の女性の上司が、私の話し方を指摘したのです。
「あなたの話し方、途中で切れて、尻切れになるよね」
語尾が上がって、なんでも疑問形で終わってしまう。
「しませんか?」と言うべきところを、「しません?」で終わらせていたようです。
「いたようです」と書きましたが、あとで自分でも、確かにそうだと実感しました。
音楽のように話す男性への憧れと、自分の話し方への指摘。この二つが、私が「ちゃんと話せる人になりたい」と思った原点です。

40年経っても、まだ練習中です

それからずっと、最後まできちんと話すように心がけてきました。最初は難しかったです。そして、今でも難しいです。
逆に、最後まではっきり言い切ると、語尾が強くなって、きつい言い方に聞こえてしまうこともあるようです。話し方は、本当に奥が深いのです。
40年経った今でも、あの男性のようには、とても話せていません。だからなおさら、あの区役所の光景が思い浮かぶのです。

すぐに言えるのは、置き場所が決まっているから

食器棚。コップ、お茶碗、大皿が種類ごとに分かれている
夫や部下に的確に指示をするためには、まず自分自身が、どこに何があるかを、きちんと把握していなければなりません。
「洗濯機の隣の引き出し」「シンク下の、塩と書いてある入れ物」と、すぐに言葉にするには、家の中がいつも整理整頓されている必要があります。

なかなか難しいことですが、私は「物は、いつも決まった場所に置く」ことを心がけています。以前書いたエアールームツアーの記事も、じつは同じ話です。
自分でルームツアーができるということは、自分の持ち物が、どこに何があるか分かる暮らしをしている、ということなのです。
押し入れ。布団と毛布が畳まれ、下の箱にはハンカチのラベル
もちろん、まだまだ完璧ではありません。発展途上です。
それでも、布団は押し入れの中。石けんは洗面所。食器は食器棚。もう少し細かく言えば、食器棚のこの位置にコップ、この位置に大皿——というふうに、だいたいの定位置が決まっています。

「丁寧な暮らし」は、していません

シンク下の引き出し。調味料に塩・こしょうなどのラベルが貼ってある
じつは今回、この記事のために家の中の写真を撮ってみて、あらためて気づいたことがあります。
私は、いわゆる「丁寧な暮らし」はしていません。引き出しの中も棚の中も、雑誌に出てくるように、きれいに整然と並んでいるわけではないのです。
でも、雑な暮らしもしないと決めています。
その違いは、たぶん「置き場所が、決まっているかどうか」です。
見た目が完璧でなくても、置く場所さえ決まっていれば、探さずにすみます。
我が家の調味料には、「塩」「こしょう」と、小さなラベルを貼っています。ハンカチをしまった箱にも、「ハンカチ」と書いた紙を貼っています。
これも、言葉で場所が分かるようにする工夫の、ひとつなのだと思います。

物が少ないほうが、頭が楽になる

もう一つ心がけているのが、そもそも物を持ちすぎないことです。
物が多ければ多いほど、覚える量も増えます。「どこに何があるか」を把握するのに、頭のキャパシティを使ってしまうのです。考えることも増えます。
だから、自分がちゃんと把握できるだけの持ち物にしておく。これが、暮らしを楽にするコツだと感じています。
そしてこれは、もしものときの備えにもなります。
もし災害で、家のものが水につかってしまったら、必要なものも、そうでないものも、区別なく一度にだめになってしまいます。持ち物が、自分の管理できる範囲におさまっていれば、その被害も、少しは小さくすむのではないか——そんなふうにも思うのです。

まとめ・のらりくらりのための、ひそかな工夫

探し物をしない。同じものを二重に買わない。無駄に階段を上り下りしない。頭を、覚えることでいっぱいにしない。
派手なことは、何もしていません。でも、この「あるものを、あるべき場所に」という地道な習慣が、介護の仕事をしながらでも無理なく暮らし、FIREにたどり着いた土台になっているように思います。
言葉も、暮らしも、まだまだ練習の途中です。それでも、なるべくストレスがかからない、のらりくらりとした毎日を過ごせるように、今日も静かに工夫をしています。

※あくまで我が家のやり方です。暮らし方や感じ方には個人差がありますので、体験談としてお読みください。


【書いた人】
のらりくらりゆる〜く生活のストレスを排除しながらプチ節約をして、介護職でもひとりでも20年で住宅ローンを一人で完済。アラ還でFIREに辿り着いたりすねえです。

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