断捨離をしていたら、古い封筒から2枚の紙が出てきました。

1枚は、「全420回払い・第1回」の住宅ローンの明細書。
もう1枚は、平成29年4月27日の日付で
「ご返済金額 1円」と書かれた、最後の明細書です。
35年ローンを20年で返しきった記録。
今日はこの2枚の紙の間にあった、私の20年の話をします。長いですが、90歳の私のために、ぜんぶ書いておきます。
「ここはあなたの家じゃない」
私は母から「ここはあなたの家じゃない」と言われて育ちました。
女の子はお嫁に行くから、だそうです。兄はとても可愛がられました。
理由を聞いたら「お墓を守ってくれる子」だから。
24歳でお嫁に行って、環境に見事に合わずに離婚して帰ってきたとき母に言われた言葉は「お兄ちゃんがいるから、あなたはお家に帰って来られないわね」でした。
ああ、やっぱり私の家ではないんだ。実家に戻る選択は消えました。
母はきっと、覚えてもいないと思います。
そこから、自分の城が欲しいという気持ちが、うんと強くなりました。
来る日も来る日も、新聞の折り込みチラシの不動産物件を見る毎日。アパートやマンション住まいでもよかったのですが、なんとなく「人のもの」という感覚があって、誰にも「あなたの家じゃない」と言われない、自分のものが欲しかったのです。
私のお城の3つの条件

30歳、離婚歴あり。
この先はひとりで生きていく前提で、私の城の条件は決まっていました。
①駅の前に住む。
実家は高級住宅地なのに車のない家で、バスは1時間に2本、夜9時で終わり。バブルの頃、新宿や渋谷の仕事帰りにタクシー乗り場で1時間半待つ日々でした。歩けば45分、でも暗い田舎道を女ひとりで歩ける時代ではない。それなのに親からは「いつも遅い」と嫌味を言われる。駅前に住む。これは絶対でした。
②人が多い場所に住む。
ひとり暮らしで具合が悪くなって死にそうになったとき、玄関から出れば誰かが助けてくれる。駅前なら救急車もすぐ来る。当時は「変な考え」と思っていましたが、のちに介護の仕事をして分かりました。これ、おひとりさまの住まい選びとして大正解です。
③貸せる・売れる物件にする。
万が一再婚したら人に貸せる、何かあればすぐ売れる。実家のあたりは高級住宅地でも奥に入れば車が必要で、「誰がそんなとこ借りるの」という場所。駅前なら貸せる、売れる。——後に両学長の「出口戦略」という言葉を知って、30歳の私と握手したくなりました。
ほろ酔いの営業さんと、今朝出たばかりの土地
ある日、チラシの物件に問い合わせたら、営業のおじさんが来てくれました。
建前帰りのほろ酔いで(そういう時代でした笑)。
見に行った物件は古くて狭くて、しかも私が住みたくない駅の南側。却下です。おじさんも一緒に残念がってくれて、そして何かひらめいた顔で言いました。
「マンションじゃなきゃダメなの?一軒家じゃダメなの?」
お城ですから、本当は一軒家が欲しい。でも私の経済力ではマンションが精一杯だと思い込んでいました。聞けば、今朝出たばかりの物件があるとのこと。相続の物納で手放された土地を半分に割って、20坪ずつで売り出す。これから建売住宅を建てる。
場所は、地元の田園調布みたいな、地名にステータスのある高級住宅街。
そして——駅から1分。
狭いです。小さいです。でも、土地です。
駅から1分の土地なんて、出るはずのない場所です。
見せてもらって、即答しました。「欲しい」。
両学長の言う「千三つ」——1000件のうち当たりは3件、しかもその当たり物件はすぐにお得意様が先に買ってしまうから素人には回ってこない——。
朝出たばかりだったから、素人の私にチャンスが舞い降りたのです。
「本当に欲しいの?」「ほしい〜」

おじさんはそのまま、私を不動産屋の社長のところへ連れて行ってくれました。
社長の第一声は「本当に欲しいの?」。
私は「ほしい〜」即答でした。
何千万もする買い物を30歳の女が?!
社長はちょっとびっくりした顔をしていました。わすれません。
お値段、3,280万円。20坪以下でこの値段、後に銀行員の知人にひっくり返るほど驚かれました。それでも、その価値はあると思って買いました。
頭金と諸費用には、慰謝料の1,000万円を充てました。もともとは夫婦で都心にマンションを買おうと貯めていたお金でしたが、離婚の原因は夫の側にあったので、すべて私が受け取ることになりました。夫婦の夢のためのお金が、私ひとりの城の礎になったわけです。人生って、皮肉で、見事です。
そして2,380万円を、420回・35年ローンで組みました。平成9年6月30日、ローン開始。管理栄養士とケアマネジャーという手に職があって、同じ仕事をずっと続けていたことが信用になりました。月々の返済、82,551円。金利2.6%台の時代です。第1回の明細書に、その数字が残っています。
金利は、固定を選びました。銀行の説明はこうでした。変動金利は、世の中の情勢によって金利が変わる。固定金利は、情勢に流されず、ずっと同じ金額を返していく。——離婚も、リストラも、事業閉鎖も経験した私には、「いつ何があるかわからない」が体に染みついています。金融の知識もありません。だったら、ずっとお金の計算がしやすいほうがいい。それが理由でした。
結果だけ見れば、そのあとは低金利の時代が続いたので、変動金利のほうがお得でした。でも、金利が動くたびに慌てる自分は、嫌だったのです。
これも、あとから知りました。両学長いわく——「借金は人間をアホにする」。不動産を変動金利で買うのは、ギャンブルだ。当時の私は、そんな言葉ひとつ知らないまま、同じ答えを選んでいました。
平坦じゃなかった20年
返済は、きれいごとでは済みませんでした。
毎年の税金が死ぬほど重い。リストラに遭う。転職する。事業閉鎖に遭う。給料の上がらない介護職に移る。病気で半年働けない時期もありました。「払えなくなったら、この家を売らなければいけない」——その恐怖は何度も襲ってきました。インターネットもない時代、情報も少なく、ひとりで不安を抱える日々でした。
リストラで収入が下がったときは、銀行に相談して、月々の返済を6万円台に減らしてもらいました。少しほっとしたのを覚えています。困ったら銀行に相談できる。これも知らない人が多いかもしれませんね。
手数料を払って、5,000円を返しに行く
それでも私の中に、揺るぎないものがひとつありました。
借金は借金。1日でも、1秒でも、早く返す。
繰り上げ返済のお金は、完全なる節約で作りました。1円でも安いものを買い、食材を使い切り、30年前から水筒とエコバッグを持ち歩きました(当時、そんな人はほとんどいませんでした。時代が私に追いついたのです笑)。
当時はネット銀行などありません。
繰り上げ返済は銀行の窓口に行って、自分のお金を返すのに手数料を払う時代でした。それでも、5,000円たまったら、5,000円ぽっちでも返しに行きました。少ない給料から月8万円を返して、さらにそこから5,000円。死ぬほど大変な作業でした。でも、やめませんでした。
のちにリベ大に出会って、両学長がまったく同じことを言っているのを聞いたとき、答え合わせができた気がしました。
最後の「1円」

繰り上げ返済を重ねて、残高はどんどん減っていきました。そして最後に、私はある工夫をしました。
全部返して0円にしてしまうと、完済手数料がかかる。だから、わざと1円だけ残したのです。
平成29年4月27日。口座から1円が引き落とされて、平成9年に始まった420回のはずだったローンは、
19年10ヶ月——ほんとうにぴったり20年で終わりました。
誰にも言っていません。お祝いもしていません。節約が染みついた体は、特別な日を作ったりしないのです。ただ、ひたすら嬉しくて、ひとりで笑顔になったのを覚えています。私のやるべき仕事が、ひとつ終わった。やり遂げた——。
そして、はっきり覚えている感覚があります。
頭がクリアになって、空が青く感じました。
両学長が言っています。借金をしていると、人間は頭に負荷がかかって、考える力が落ちるのだと。本当にその通りでした。借金がなくなった日、空は青かったです。
まとめ・2枚の明細書を、ここに残して

あとから両学長に教わったことと、30歳の私がやっていたことは、不思議なくらい重なっていました。
千三つの物件。出口戦略。借金はさっさと返す。不動産は良い物件でなければ負債にな——
一歩間違えば、私の城も借金の塊になっていたと思うと、今でもゾッとします。
おかげさまで、この家は今も目減りしていません。私の宝物です。
そして、何より。この家は、私の分身です。この家が、大好きです。
何十枚も届いたローンの明細書は、断捨離のときに写真に撮って手放しました。記念に残した第1回と最後の1円、この2枚も、この記事に残せたので、もう手放そうと思います。思い出は紙の中ではなく、ここにありますから。
「ここはあなたの家じゃない」と言われて育った娘は、自分の城を自分の力で手に入れて、自分の力で返しきりました。そして現在は資産をうんでくれています。
90歳の私へ。あなたの家は、あなたが買った家ですよ。
今はのらりくらり暮らしています。
※この記事は私個人の体験談です。住宅購入やローンの判断は、ご自身の状況に合わせてじっくりどうぞ。
【書いた人】
のらりくらりゆる〜く生活のストレスを排除しながらプチ節約をして、介護職でもひとりでも20年で住宅ローンを一人で完済。アラ還でFIREに辿り着いたりすねえです。


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